図書館に潜る

先日は麻布、東京都立図書館へ。
ある地図を探し求めて行って参りました。

火特図、地籍図などなど大漁でしたが、これからデータ化、整理を進めるのが大変です。はあ。
土地の利用と所有がだいたい分かって来たところで(と言っても未だ分析を進めている訳ではないのですが)、それらを時間軸に並べてみて、それらで都市を語ることが出来るかどうか、なにかすっぱり言えるようになれば書きたいと思います。
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四谷を歩きまわる

本日のゼミは研空室で若干の打ち合わせ後、町へでよう、ということで、四谷の現地調査へ行って参りました。今回は初見ということもあり、地図を片手にぶらぶら歩き回って雰囲気を掴むというかんじでした。

四谷についてですが、なぜこの地をわれわれの研究対象としているのか、それはおおむね明治期の3大スラムのひとつがここにあったからです。名を鮫河橋といい、もう地名自体は無くなってしまったものの、東京のなかでも最も大きなスラムの一帯がこのあたりに広がっていたと思うと、なかなか感じるところがあります。はあ。
先行研究を玩味したところによれば、このあたり特有の建築形態として「裏長屋」が多かったということですが、たしかに通りによってはかなり小路地が走っており、奥には雑草が繁茂していたり、廃屋のようなものが建っていたり、土地利用として芳しい状況ではないようでした。
また、四谷は地形が特徴的でありまして、本日の調査では江戸城の外堀跡から(自然の?)崖地まで、かなり起伏が激しい場所という印象を改めて受けました。谷地が貧困層の住空間になるというのはよくある話ですが、四谷の場合は墓や寺社などの宗教施設も多く、街区の形もかなり特徴的でした。
調査の帰路、四谷図書館に寄り道し本を漁ってみたところ、なかなか興味深い本が並んでいて、研究室に戻る頃にはすっかり夜も深けてしまった次第です。まあ、がんばります。
ちなみに写真は四谷のお隣さん、夜の帳が降りつつある中の赤坂離宮です。
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都市の血肉

人々の行き交う道の上を見上げれば、木の葉舞い散る今日この頃
卒業論文も佳境で研究室内の空気も鋭くなりつつあるなかに、今回のワイルドバンチゼミは5時間に渡る長丁場でありました。

主な作業内容としましては、方法論の参考文献として青井哲人『彰化1906年 市区改正が都市を動かす』を皆で読みつつ、内容について議論、またわれわれの研究対象である東京にどのように応用可能であるかまで、たっぷり議論致しました。し尽くされました。ふう。
特に『彰化』の「地誌的/位相的」の理論においては、「位相的」が何たるかについて、ホワイトボードの上で何度も図が描かれては訂正、いやこうだろう、いやいや、そうではない、はて、そうなっては、うむ、それでは、というふうに、激しく刺激的な時間が流れていきました。
途中、陣内先生の『イタリア都市再生の理論』における「ティポロジア」なども参照しつつ、最終的には共通理解を得る事が出来、一件落着。「これぞゼミ」という濃密な議論になって、何となく自己満足であります。
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学園祭の傍らで

さて、先日は早稲田祭で賑やかなキャンパスを横目に、われわれは厳かにゼミを進めておりました。今回はホワイトボードを中心に取り囲んで、図表を皆で編集しながら、なかなか良い具合に議論が展開したのではないかと思われます。

持ち寄った文献から論理的な支柱を探りつつ、前回からの延長で、東京における歴史的存在としての貧民窟と現代的状況としての「疲弊地区」をどう関連させて分析していくか。約4時間に渡って繰り広げられた熱いゼミを通して、大まかな方向性と具体的な調査対象も幾つか絞られてきました。
しかし、秋もうっかりしているとすぐ通り過ぎてしまい、今期の限られた時間の中で上手く成果物としてもまとまなくてはならぬ故、計画的な作業進行も考慮しなくてはいけません。
ううん、難しいですね。
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失われた貧民窟を求めて

現在、ワイルドバンチ研究所の第一義は、
人口・経済・技術の隔たりによって引き起こされた、都市/地域における人的ネットワークの衰退(=疲弊地区)に対して、プロジェクトの立案まで視野に入れて研究、分析をおこなうことにありますが、最近はその「疲弊地区」の参照形態として、明治期から戦後にかけて東京に実際に存在した「スラム/貧民窟」に関心を抱いております。

明治末期には『最暗黒の東京』『日本の下層社会』(はてなさん、リンクお願いします。あ、貼られませんね。)のような貧民窟ルポルタージュ文学が隆盛したことから、明治期東京では都市の発展とともに各地にスラムが発生し、貧富の格差が現在よりも目に見える形で都市のなかに存在したと考えられます。しかし、ご周知の通り、現在の東京には一般的には「スラム/貧民窟」と呼ばれる場所はありません。明治期から昭和にかけて存在したスラムもクリアランス・スプロールのよって消滅したと考えられております。

では、現在の「疲弊地区」とは何なのか。
現段階でのわれわれの見解は「スラム/貧民窟」に対して共通点もあるが相違点もあるだろう、というところですが、議論の中で「やはり現在の疲弊とは何か、もう少し明確にしなくては」ということで一旦の終着に。
ううん、難しいですね。

久方ぶりの秋らしい日に

ワイルドバンチ研究所では連日作業が続いております。

これは作業途中の地図ですが、簡潔にご説明しますと
関東大震災東京大空襲の被災区域、復興計画施行区域など、それぞれプロットしております。
詳細はまとまり次第活動報告致します。

あれこれしているうちにはや10月も

あれこれしているうちに10月も終わろうとしているこの頃、
そしてめっきり寒くなり明日明後日には台風も上陸するやらしないやらのこの頃ですが、
わがWildBunchLaboratoryはブログを再開すべく立ち上がりました。


今さらの感も否めませんが、時はそうやって移ろって
来年の今頃には実り豊かなブログに成長していることを信じ
これから心機一転頑張ります。

続けていくうちに様々な方々に認知されるようになれば幸いでありますが、
そして肝心の活動報告は次回に回してしまいますが、
ネットの片隅で夜な夜な動いていきますのでたまたま通りかかった方は乞うご期待です。